れっくすのつぶやき

マイペースに色んなことを書いてきます

SNSが教えてくれるもの。

みなさん、ワールドカップ楽しんでますか。自分はあんまりスポーツ観ないんで、どっちが勝ったとか負けたとか、そういうレベルのことしか知らないんですけど、日本代表中々頑張ってるみたいですね。

 

それはともかく、先日こんなツイートを見かけました。

https://twitter.com/raishima3/status/1010005902668095488?s=21

かなりのリツイート数、いわゆる「バズってる」ツイートですね。みなさんはこのツイートを見てどう思いましたか?まあ、それぞれ言いたいことはあるでしょうが、僕がこのツイートを見たときの感想は、はっきり言って、「何言ってんだコイツ」でした。

そもそも歴史とは何なのでしょう。

「正しい歴史は誰にも分からない。」

確かに、正しい歴史は誰にも分かりません。人間は時間を遡ることは出来ませんし、過去の人物に何があったか聞くこともできません。まあ、ここまで言ってることは正しいですよ、これだけなら、「ああ、またいつもの正論言ってバズらせるタイプのあれね」と言って納得できるんですが、どうもその後の文、つまり帰結の部分がどうもおかしい。

 

「だから誰が違う、誰が正しい、ではないんです。色んな人の物の見方、多様性として受け入れて欲しいです」

 

何を言ってるんだこやつは。

全くの正論である前半からまさかの歴史全否定。

そもそも歴史というのは人間が社会というものを作り始めてからの記録の総体を呼んでいるわけなんですね。だから歴史っていうのは「記録」であって、「妄想」ではないんですよね。

 

歴史学は前半の「誰にも正史は分からない」という部分にしっかりと立脚しています。これは主に経験科学分野では常識ですがいかなる説も反論の余地を残しているわけですね、反証可能性ってやつです。

でも、どんな説も反論できてしまうならどんな説も有効!というわけではないです、残念ながら。

そんなことしたら歴史の価値が無くなります。

「本当の事は誰にも分からない、でも、その中で、つまり現在残されてるものの中で推測できる最も妥当な事実を探していこうじゃないか」というのが、歴史です。

この人は「全てが真実とは限らない」と「全てを真実としてもよい」を履き違えて考えています。

要約してみると、「何が本当の歴史かは誰にも分からない、故に、誰にも分からないのだから俺の考えた歴史こそが正しい」と言ってるわけです。おかしいですね。

別にこの人が嫌いだからこんなに指摘してる訳じゃありません。もしこのツイートが、「こんな歴史だったら素敵だな」とか「こっちの歴史の方が正しいんじゃないか」とかだったら、ああなるほどね、確かにそうかも、と納得してハートマークを押していたでしょう。

しかし、もし一旦「歴史」という概念に立ち返って、いわば学問的な領域に踏み込んで間違った歴史観を主張しているのであれば、これは明らかに「おかしい」主張ですから、その辺を誤解して歴史を語るのはどうかなと思うわけです。

けど僕が問題にしたいのはそこじゃないです。別に人の歴史観なんて間違ってようがどうでもいいんです。

問題なのは、これが8000回以上リツイートされているという事実の方。リツイートは本当にただツイートを自分のタイムラインに表示するだけですから、リツイートした人の真意なんてのは分かりません。僕と同じく「何言ってんだこいつ」と思って、晒すためにリツイートしている人もいるかもしれませんが、そんなの極少数でしょう。おそらく、大半の人間がその「なんか正論っぽいこと言ってるな、確かにそうかもしれんな」という「雰囲気」に賛同して、大して論旨のおかしさや矛盾も考えることもなくリツイートしているんでしょう。

 

 

他にも例を挙げて見ましょう、「なんか正論っぽいという雰囲気」でリツイートされているツイートは数多くあります。

https://twitter.com/tonymonpe/status/1006771257369677824?s=21

https://twitter.com/tonymonpe/status/1006771279930806273?s=21

 

このツイートについては何が言えるでしょう。

一見、なんか社会に物申しててすげー、という感じがして、思わずリツイートを押したくなりますが、ちゃんと文章を読んで見ましょう。明らかにおかしいことを言ってるのが分かりますね。

まず、学校は子育て支援施設ではありません。あくまで「教育機関」です。教育機関で教えるのは「学問」です、いいですか?「学問」なんですよ。(バズってるツイートによく見る言い回しを真似してみました。)

決して、社会での立ち振る舞いとか給料の稼ぎ方とかいい会社の就職の仕方とかを教えてくれるくだらない塾とは違うんです。上のツイートでは「縄文時代なんて教えてる暇ない」という趣旨の主張がされていますが、何を言ってるんですかね。学校を生き方塾かなんかだと勘違いしてる典型的な無知です。ちなみに、社会科を少しでも勉強していれば、皮肉なことに実学重視の教育がいかに社会の発展を送らせてきたかも知ることができます。

おそらく、この手の輩はまともに学問など経験したことがないんでしょう。こういった人種から言わせてみれば実学以外は全部学ぶに値しないゴミで、数学や歴史なんてなんの役にたつんだ、実際の社会でなんの役にも立たないじゃないか、と、教室の隅で学問の楽しさを一ミリも垣間見ることもなく、自分が出来ないのを教育そのものに責任転嫁して、さぞつまらない学生時代を送っていたタイプの人間でしょうが、まったくもって論外。まともに教育を受けている人間であればこんなことは言わないし、学校はただの教育機関であって子供に何も教えられないほど無能な親を支える施設ではありません。

そういうのは各々の家庭で教えるものです。道徳の授業が全国の学校で次々と廃止になっているのも国がそういう「実学重視」な傾向を嫌ってのことです。

学問はこの世界の「よくわからないこと」を解明するために生まれ、そこに世界を追求する楽しさや好奇心が備わっていたから今現在まで発展してきたわけです。そういう楽しもうとする姿勢がある人間にのみ学問は輝くのであって、つまらない、何の役に立つの、などと抜かしながら授業中必死で我慢大会をしているような人間には必要のないものに見えるのも無理はありません。

 

長々と書きましたが、現状こういう「学問論」のがの字も知らないような人間が好き勝手学問論を述べても、一部の人間以外には殆ど反論を受けません。むしろリプライの欄を見れば分かりますが、支持する意見の方が圧倒的に多いのが分かります。その論旨たるや、普段「マスゴミ」などと揶揄される某新聞社の社説より酷いレベルなのにも関わらずです。

 

そして、このツイートがここまで賞賛を受けている理由も、「なんとなく正論っぽくて、社会に突っ込んでてなんかわかってる感が出てるし、しかもめちゃくちゃリツイートされてる」から、という、いかにも大衆迎合的、ポピュリズム的な理由です。

 

 

ここから私たちが言えることは何でしょうか。

結論からすれば、結局「SNSでの主張がどれだけバズってるか」などというのは、その中で述べられていることの正しさ、おかしさなどとは全く関係がないということです。

 

あなたは雰囲気でリツイートを押していないでしょうか?長文で、なおかつ日本人の国民性や教育制度などに物申しているという、ただそれだけの理由で、なんか正論っぽいという理由だけで、拡散していないでしょうか?

大阪で大きな地震があった後なので敢えて言わせてもらいますが、こういう、何でもかんでもバズってるものを、さほど吟味せず回そうという傾向は、その影響が良いものにせよ悪いものにせよ、いずれ自分達に降りかかることになります。

リツイートをする前に、もう一度自分でしっかりと考えみるのもいいんじゃないでしょうか。

 

昨今やたらと、いかにSNSがマスメディアより優れているか、また、いかにマスメディアがSNSに劣っているか、というような内容のツイートを多く見かけます。SNSの信頼度が70%で、テレビの信頼度が20%程度だというようなツイートを見たときは思わず笑ってしまいましたが、実際こう思ってる人は僕の想像より多そうです。

しかし、こんな調子だと、SNSがマスメディアに取って代わるのはまだまだ先のことかもしれませんね。

 

 

 

 

結局「どう使うが」が大事ということ。