れっくすのつぶやき

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宇宙的宗教

日本人の中に神の存在を信じている人はどれぐらいいるだろうか。

恐らくほとんどの日本人は宗教に無関心で、宗教的な儀式などは行うものの、実際に何か特定の宗教を敬虔に信仰している人はそれほど多くはないだろう。

 

 

話は変わって、アインシュタインという物理学者をご存知だろうか。相対性理論で広く知られる、現代物理学を代表する偉大な人物だ。相対性理論がどんなものか知らない人でも、名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。

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この顔写真はあまりにも有名。

 

さて、ではアインシュタインと宗教の間にどんな関係があるのか?

物理学を究めんとする人間、そして宗教という、一見まったく相反するように見える二つの間に、いったいどんな繋がりがあると言うのだろう?

 

しばしば、科学と宗教の二つを概観する際、その対立性について述べられることがある。例えば「科学によって宗教は完全に否定され得る」とか、「神の存在を否定することは科学には出来ない。ゆえに宗教は全く否定され得ない」とか、もっと酷い例を挙げてみれば、「科学者も科学を信仰しており、科学も宗教だ」などという意味不明な主張まで存在する始末だ。

こういった科学と宗教を対立的なものとして論じるのは遥か昔から続く潮流だが、その論旨はあっちこっちへ歪に分散して、現在では上で挙げたような曖昧模糊な議論が後を絶たない。

本来科学と宗教は対立するものではないというのが僕の意見だが、それはまた別の機会に。

 

 

アインシュタインは神を信じていた。

驚いただろうか。世間一般で言えば物理学者など、皆無神論者で唯物主義に支配された数式オタクだろうという偏見がある。そういった偏見はあながち間違っていないことも多いが、事実アインシュタインは熱心な信仰心を持っていた。

しかしそれはキリスト教のような人格神に対する一神教的な信仰ではなく、むしろ汎神論者の主張にかなり近いような信仰であった。

アインシュタイン自身はこの信仰心を「宇宙的宗教」と呼んでいる。

そもそも汎神論とは何か?

汎神論とは・・・

汎神論(はんしんろん)とは、と宇宙、または神と自然とは同一であるとみなす哲学的・宗教的立場である[1]。万有神論、汎神教とも。古代インドのヴェーダウパニシャッド哲学、ソクラテス以前ギリシア思想、近代においては、スピノザゲーテシェリング等の思想がこれに属する。

汎神論においては、一切のものは神の顕現であるとされる[2]。あるいは世界における神の内在や遍在が強調される。一切のものと神とを一元論的に理解しようとする汎神論においては、理論上、神は非人格的原理としてのそれである場合が多いが、人格神を立てる有神論的宗教の理論的思弁や神秘主義、あるいは祭祀上の習合からも汎神論的傾向が生じる[3]。汎神論は歴史上それ自体として存立したものではなく、さまざまな宗教のなかにみられる一定の傾向であり[3]、汎神論的態度は古代・中世にもあったが、ヨーロッパで頻出するようになるのは16世紀以降である[1]。(ウィキペディアより)

つまり世界それ自体を神と呼ぶのが汎神論の特徴だ。これは全てのものに神を見出すアニミズムと非常に混同して考えられやすいが、両者の考えはかなり異なる。

アニミズムは全てのものに神、ないしは魂を見出す。これは日本の神道に似ている。八百万の神なんて言い方をするが、要は万物に魂が宿っているんですよ、私たちの傍にはたくさん神様がいますよ、といった考えだ。

汎神論はもっと唯物的な思考からスタートする。例えば重力。アニミズムからすれば重力なんてのは上から下に(正しくは質量の大きいほうに)物体が引き寄せられるという、単なる一運動に過ぎない。しかし、汎神論者はこの重力の中に神を見出すのだ。

ただ神をどう定義してるかの違いに過ぎない。汎神論者からすれば、物理現象、あるいはこの全宇宙に共通する基本原理こそ、神の真の姿であり、正体なのだ。

アインシュタインの宇宙的宗教もこれに似ている。

世界の合理を垣間見たときこそ神の恩恵を感じ、この宇宙の秩序を感じることこそが、アインシュタインの言う宇宙的宗教感覚なのだ。これは、私たちが普段聞く擬人的な神とは程遠いものであり、最も普遍性を帯びた、非常に原始的な体験からくるものだ。

 

分かりやすくざっくり説明するなら、要は「世界は宇宙の秩序と合理によってのみ成り立っていて、それを感じることが出来るってのが宇宙的宗教なんだぜ」ということだ。よく、科学者あるいは数学者は、数式や実験結果の中に神を見出す。アインシュタインの宇宙的宗教感覚とは違っても、彼らのその神秘的な体験における感覚というのは、この「宇宙的宗教感覚」と共通するところは多いのではなかろうか。

そして、真に科学的素質のある人間というのは、この「宇宙的宗教感覚」を人生のある時点で体験してしまったような、そんな人間じゃないだろうか。

 

 

アインシュタインは次のように述べている。

 

「しかし私は、宇宙的宗教感覚こそ、科学的探究のもっとも強力な、そしてもっとも崇高な動機であると思う。計り知れない努力、そして専心。それなくして論理科学における先駆的研究が達成されることはありえないが、その努力と専心を現実のものとするもののみ、その感情の強さを理解できるのであり、また唯一そこからそうした研究が生まれうるのである。

 

ケプラーニュートンは深く宇宙の合理性を確信し、それを理解したいと願っていたからこそ、天文力学の原理を解き明かすことに何年もの孤独な仕事をすることが出来たにちがいない!

おもに実際的な結果から科学的研究に興味を抱くようになったものは、そうした科学者の精神性について、まったく誤った考え方を持ちやすい。同じような目的にその生涯をささげてきたもののみ、何がそういった人間を鼓舞し、また無数の失敗にも関わらず、何が彼らにその目的に忠実であろうとする力を与えたのかを、はっきりと理解することが出来る。宇宙的宗教感覚こそ、人間にそのような力を与えるものである。

 

この唯物的な時代において本当に宗教的な人間というのは、真剣な科学者のみであると言ったが、それはあながち間違いではないかもしれない。」

 

 

興味があればぜひどうぞ。では 

アインシュタイン、神を語る 新装版

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