れっくすのつぶやき

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デスストランディングについて

DEATH STRANDING(デス・ストランディング)というゲームを買った。

 巷で話題のこのゲームを遊んだ感想を少しだけだが書いてみようと思う。ちなみにまだクリアしていない。

 

 とその前にまず、このゲームの現在の評価について書こう。このゲームが発売してからというもの、色々な人、メディアのレビューや感想を見てきた。全体としては「賛否両論」、「絶賛も酷評も少ない」という感じに落ち着いているなと感じる(ファミ通との癒着問題で若干炎上の兆しが見えるがそれについては言及しないことにする。)。

 僕はこういった賛否の状態を「深夜アニメ劇場版現象」と呼んでいる。どうやらこのゲームのディレクターは最近大手ゲーム会社から独立した超有能と名高い小島監督らしい。なぜ監督と呼ばれているのかは謎であるが、この小島監督には所謂信者もアンチも尋常ではない数がいる。なぜそんなに信者とアンチが多いのかと言うと、この監督の強い作家性が一つの要因であることは言うまでもない。カットシーンや俳優へのこだわり、作品におけるテーマ性、ゲームシステムの独自性など、挙げればきりがないが、彼が今の日本を代表するゲームクリエイターであることは間違いない。

 それほど作家性の強いゲームクリエイターが大手から独立して、真に自分の作りたいゲームを作るのだから、きっととんでもないゲームができるに違いない。と、発表直後から小島監督のファン達は大いに盛り上がった。公式のマーケティングもそれを後押しした。ストーリーについてほとんど何も語られないトレーラー、安部公房の引用、「全く新しいゲーム体験」の宣言、ファンは絶頂しただろう。これだ、これこそが、我々の求めた小島監督である、と。

 しかしその一方で、ファンではないゲーマー達が若干の不審を抱いていたのは当然のことだろう。ゲームの目的も、あらすじも、そしてそのプレイフィールも分からない。分かるのはなんか凄い俳優が起用されていることと、なんか凄いゲームを作るらしいということだけだ。そんなファンと一般ゲーマー層のテンションの差が、「深夜アニメ劇場版現象」を生み出した。

 

 「深夜アニメ劇場版現象」とは、ファンと一般層が互いにその作品のターゲット層についてのリテラシーを共有することによって起きる。言い換えるならば、「その作品がファン向けに作られているという前提を共有している」状態である。深夜アニメが映画化するとこのような現象が起きがちで、レビューの質の低下を招く要因になる。

 ファンは、その作品が自分たち向けに作られていることを分かっているので、自分たちがその作品のファンであることを自覚した上で一般層の視線に立とうとする。故に、手放しでその作品を褒めたり、絶賛したりという感想が必然的に少なくなる。

 対して一般層も、その作品が自分たちに最適化されていないことを理解している(さらに適当なことを言うとファンに袋叩きにあう可能性もある)ので、あからさまな批判やクソゲーという判定を下しにくい。

 以上の二つが合わさるとどういったことが起こるか。結果として、どちらも極論を言いづらくなる雰囲気がコミュニティー内で醸成されていき、絶賛も酷評もない「無難」な感想たちになる。これが、「深夜アニメ劇場版現象」である。もちろんゲーム自体かなり好き嫌いが分かれる感じのものではあるが、普段レビューを見てソフトを買うような純ジャパニーズ気質を備えた僕のような人種には些か難しい問題である。というわけで、今回は実際に遊んで自分でこのゲームの感想をつけてみようという訳である。

 では、自分はどう感じたのか。いよいよ本題に入っていこう。

 

 

 

 一々ゲームシステムを説明するのもダルいのでまずは読者が知っている前提で「ストランドシステム」についての感想から書くとしよう。

 オンラインで、他のプレイヤーにやんわりと関わるシステムは、デスストランディング以前にも登場していた。特に、Co-opや対人戦ではなく、他のプレイヤーに自分の痕跡を残したり建築物を共有したりして干渉するタイプのシステムは「ダークソウル」シリーズや「トゥモローチルドレン」などのゲームで既に登場している(僕のフレンドのTくんはこういうシステムが大好物で、トゥモローチルドレンのサービス終了に悲しんでいたのでデスストランディングは大いに楽しんでいるに違いない)。確かにまだ主流のゲームシステムではないし、こういうシステムのオンラインゲームはまだ数少ないが、別に全く新しいという訳でもない。ただ、ゲームの進行度に合わせて同期率を調整したり、プレイヤーの暴走によってゲームが破綻したりすることがないように設計してあるので、その辺の開発努力は素直に称賛すべきだろう(ちなみにトゥモローチルドレンはこの辺が壊滅的にダメでカオスになっていた)。このシステム自体が面白いかどうかと言われると、僕自身特別面白いとは感じないが、人の建造物を見つけたり自分の建造物にいいねが着くと若干嬉しいので、ゲームは一人でやりたいけど寂しいのはやだなという人にはいいかもしれない。あと、多くのプレイヤーが通った道がしっかり獣道になっていたのは感動した。

 次にゲームプレイ全体の流れだが、まあ早い話が「オープンワールドのおつかい要素を究極まで濃縮したようなゲーム」である。プレイヤーは荷物を持って配達先まで届ける。そこでまた新しい荷物をもらって次の配達先へ…という感じの流れが延々と続く。おつかいミッションが嫌いでもない僕はまあそれなりに楽しめているのかもしれないが、おつかいとかやってらんねえよという人には絶対に面白くないだろう。道中で戦闘やステルスアクションもあるにはあるが、これも大して面白くない。ファストトラベルもなく乗り物も微妙な性能である。とにかく全てがだだっ広いフィールドで歩くのが好きな変態向けに調整されている。

 そんなゲームの何が面白いんだよと言いたくなるが、実はここがミソである。このゲーム、ただおつかいするだけと言ってもそのおつかいがかなり難しい。敵は環境そのものであり、険しい岩山や河川、廃墟や雪山などの厳しい環境を踏破することにゲームプレイの焦点を置いている。安部公房を引用して説明していた「なわ」のゲームとは、ズバリこういうことだったのだ!

 しかしこのシステムもさほど珍しいものではない。環境にインタラクションして道を切り開くというのはゼルダの伝説Botwという偉大な先輩がいるし、非殺傷のアドベンチャーゲームなど無数に存在する。そして何よりもこのシステム、僕に言わせれば、成功しているとは言い難いような気がする。

 環境を敵と見立てて遊ぶゲームというのはいいアイデアだが、その環境を乗り越える手段が少なすぎる。ゼルダであれば、プレイヤーからモノへのインタラクションと同時に、モノからモノへのインタラクションが加わることでプレイヤーの想像力を何倍にも掻き立てるようなゲームデザインが成されていたが、デスストランディングにはそういった気配はない。基本的にどんな地形も梯子かロープか橋を建設すれば乗り越えられる。それがダメならそもそもそこは通れないように設計されているので、あまり乗り切った感がない。目的地への経路は無限大だが、その方法は数種類しかない。かといって、ガチガチなシミュレーションゲームでもない。サムは超人なので歩いても疲労しない(するにはするがモンエナを飲めば回復する)し、割とゴツゴツの岩肌でも難なく走り抜けてゆく。バイクの挙動もおかしいし、荷物をエグいぐらい積んでいたりよっぽど下手じゃない限りコケはしない。環境を他のプレイヤーと繋がりながら乗り越えていくのがゲームのコンセプトであるはずなのに、最も自分の行く手で障害となるのはBTやミュールといった環境以外の敵キャラである。まだゲームの序盤なのでこれが全てではないことは理解しているが、それにしてもこれがずっと続くとは考えたくない。

 これらに加えて、UIの不親切さ、あまりにも多すぎるカットシーンの冗長さ、ゲーム内用語の解説をほとんどドキュメント(テキスト)にしている部分などは、かなり一般ゲーマーとしては辛いだろうなと思う。

 ストーリーについてはまだクリアしてないので分からないが、今のところその全容は見えてこない。これから凄くなるかもしれないので期待している。小島監督のいわゆる衒学的な(これは僕が勝手にそう呼んでいる)セリフ回しや小ネタを詰め込むところは健在で、かなり面白い。最新のゲームエンジンで描画された北欧風の風景もとても美しい。

結局どこが新しいゲーム体験なのかは分からないが、上記の「環境とインタラクションするゲームシステム」と「やんわり繋がるマルチプレイ」を合わせたのは、世界で初めてなのではないだろうか。

 

というのが今の僕の感想である。

ただ結局自分でやってみて面白いか面白くないかを決めないといけないゲームであることは間違いないし、そういう流れを作ることこそがこのゲームのマーケティング戦略なのかもしれない。

 

またクリアしたら書くかもしれないし書かないかもしれない。